もう2日前なんですけどメモレの映画見てきました。誰かの大切な人の誕生日に人が死ぬ話を自分の誕生日に見るの、とてもエモーショナルなかんじだなとおもいました。
土曜で放映時間が微妙(立川の2回目は21時15分から上映)だったせいか、初日の割に人少なめで割と快適に見れたんですけど、見に来てた女性ファンが殆ど後半すすり泣きはじめたのでもう凄かった。私も何度か涙腺が緩んだ。なんというか、全力でファンを殺しに行く映画ですよねと……。
アニメ本編では描かれなかった十束の最期と、その十束の存在によって心地よい日常に繋ぎ留められていた尊が十束の死をきっかけに「檻の外」に解き放たれるまでの物語が幸せな日常とともに語られるの、本当に胸に刺さる。最期の夜に十束がバーHOMURAを出ていく直前の過剰なまでにスローな演出ずるくないですか!?あれ、その後十束が死ぬという共通認識があるからこそのズルい演出だよなあーーー。
アニメの内容をふまえて、十束が死んだ翌朝の草薙さんと宗像の反応が完全に先の事まで理解した上で尊さんの結末までをも覚悟完了してる人の反応という気がしてとてもつらい。尊の言葉を聞いてこれまでのことを「楽しかった」と過去形で語る草薙さんと、一報を受けて即座にダモクレスダウンを予見する宗像、なんていうか理解が早すぎる……。(逆に尊と直接面識があって他の吠舞羅メンバーと違い割と冷静に状況分析しそうな伏見が宗像に言われるまでダモクレスダウンの可能性に至れないの、吠舞羅時代の伏見と尊さんの微妙な距離感を感じてしまって大変に好きでした)
なんというか、十束は本人が言い残したとおり、まだやれてないことはたくさんあったけどその上で「幸せな人生だった」んだとおもうし、尊さんも十束の死をきっかけに解き放たれてしまって「自分のしたいことをして死んだ」人なんだとおもうのである意味ハッピーエンドですらあると感じるんですけど、でも、二人の生き様を目の当たりにして、その上でおいていかれる草薙さんと宗像はしんどいよなあと、なんか変な方向に涙腺を刺激されてしまった。尊さん以外に接点のない草薙さんと宗像が尊さんの話する話が見たい。
3巻特装版ブックレット掲載のピアスの話が映像化されたのも色々と衝撃だったんですけどその直後に草薙さんの返しが来て油断してたところに涙腺を全力で殴られました。あれほんとポータブル墓(人から聞いてしっくりきすぎて忘れられなくなった概念)……。
あと先月ロスモワで殴られたばかりなので、不意打ちで伏見と決別した後の八田が飛行船を追いかけたあの日を思い出すのずるいとおもいましたとても殴られる!!
帰ってからメモレの3巻読み直したんですけどロスモワとアニメ2期を踏まえて3巻最初の八田と伏見の話を読み直すと、なんていうか、伏見にとっては吠舞羅時代の居場所はあくまで「八田のとなり」であって、吠舞羅や尊さんは自分の居場所じゃなかったんだよなあみたいなしんみり感を改めて……そして最後までそれを理解できなかった八田。
2期のラストで、それまで自分の居場所がみつからなくてなんかふわっとしていた伏見がセプター4が自分の居場所なんだとやっと認識して、その上で尊さんが居なくなって改めて自分の意志でアンナと新生吠舞羅に寄り添うことに決めた八田との関係を再構築するのが本当に好きってこれロスモワ見たときも言ったね!!サビなので何度も言います!!